プールで被災した。水面が波うち溢れ天井が落ちてくる中、駐車場におばあちゃん達と裸で避難。割と楽観していた。
車のキーと着物がロッカー内にあり帰れない。 スタッフにヘルメットが届いた後、服を取ってきてもらった。
その間マイクロバスのラジオは震度や津波の情報を伝え始めた。7m、10m。はてそんなモノは何かの間違いではないのか?
家は宮城県沖地震前の耐震基準で心配だ。周りには倒壊した建物が無いので一応そういう事にする。
車で橋を二つ渡り帰る。橋の繋ぎ目は土が飛び出て段差があった。上を見ると、街灯カバーがぶら 下がっていて、地面には落下の跡。 ・・・直撃しませんように。
徐々に気が焦っていく。 損傷した道路。
帰宅。 家は建っていた。門柱の頭が無い屋根の棟の丸瓦が崩れて落ちそう、車庫の奥にしまっていたオートバイが倒れていてガソリンがわずかに漏れていて、部屋は本とがらくたで入れなかった。
宮城県沖地震より軽傷の感じだった。
電気 水道が止まった。ガスはプロパンのリセットボタンを思い出すのが次の日になった。
暗くなる前に、懐中電灯を集めて、持久戦が始まり、ラジオが原発の話を伝えていた。
原発との距離は直線75km。 さてどうなるのか。
3月12日06時の亘理 湧水採取後四方山から
近くの交差点
まだ商品がある頃
買い出し
遠回りしなければならなくなった




